今回のテーマは、無能な同僚に苛立たなくなる考え方についてです。
なぜ努力すればするほどに苛立ちは増していくのか?という疑問を持つ方は多いのではないでしょうか。
また、それを人事制度や大企業病のせいにしてしまっている方もいると思います。
この記事では、そんな感情に対して私の実体験から対処法をまとめています。
この記事が参考になる読者
- 頑張れば頑張るほど周りの無能さが際立って見えてしまう方
- 出世するたびに周りに無能な人間が増えたと感じている方
- 努力しない同僚を見て苛立ちを感じている方
私自身、この感覚に長年悩まされてきました。
しかし、入社4年目から経営部門で仕事をし始めて、苛立ちを覚えなくなってきました。
つまり、経営視点で考えるコトでこの苛立ちを解消することができたわけです。
この記事を読むことで、上司や同僚への苛立ちが解消されるだけでなく、なぜ無能な人間が周りに増えていくのか?という構造を理解することができます。
明日から効果を実感できる内容になっているので、ぜひ、最後までお読みください。
この記事の結論
- 苛立つこと自体は健全。その感情はありのまま受け入れる
- 自分の出世・活躍は「周りが自分よりも優れていない」という証拠
- パレートの法則で2割の社員が会社を作っていることが前提である
- 経営視点でその構造の中で活動することが大事
それでは、さっそく進めていきます。
苛立つ感覚は健全
真面目で努力家な人ほど「頑張らない社員」「使えない社員」の存在に苛立ち、ストレスを抱えてしまうようです。
私は優秀ではありませんが、成長と成果に対しては非常にシビアに努力を重ねてきました。
そうして年々周りの能力水準や勤務態度に対しての不満が募っていきました。
「それすらもコントロールするのが優秀なマネジメントなんだよ」とかいうある種の精神論をよく聞きますが、私はあまり納得できずにいました。
やはり、企業が営利目的である以上は「努力をしない」「無能である」ということはお客様と株主にとっての損失になり、結局は企業の業績に跳ね返ってきますから、そういう社員はステークホルダーの皆様のためにもリストラして然るべきだと考えていました。
経営とはそれほどシビアで覚悟が必要なものだと思っているので、今でもその考えは持ち続けています。
だからこそ、お客さまファーストでかつ頑張る従業員こそ報われるべきだと感じているので、まず苛立つ感覚は健全なんだと思っています。
その上で、「頑張れば頑張るほど周囲の変化のなさに対する苛立ちが増してしまうのには、いくつかの構造的な要因がある」ことに気付いて、その苛立ちをコントロールすることができるようになることが重要だと考えています。
苛立ちを無くす具体的な考え方
自分が頑張ると無能社員が増えるのを構造的に捉えていくことが非常に重要です。
その構造について具体的な考え方を視点に3つにまとめています。
3つの考え方
- 評価とは相対比較の結果である
- パレートの法則に当てはめる
- ヒト=経営資源という視点を持つ
それでは、一つずつ説明します。
①評価とは相対的な比較である
自分が「出来る」ということは他者は「自分ほどは出来ない」ことの意
相手を「無能」だと『評価』したということは、その相手の仕事ぶりや成果を何か他のモノと比較したからではないでしょうか。
そしてそれは大抵「自分がやったとしたら」という自分との比較ではないか、と考えます。
私はそうでした。
「自分なら分からないことは勉強するし、ヒトに聞くし、とにかくやってみるし、反省と修正を繰り返すし、前例に囚われないような考え方をするのに、、、。」という風に。
こうした自分との比較によって相手を「力不足」だとしてしまうことに終わりはありません。
つまり、自分が努力して成長し、優秀な人材になればなるほどに、相対的に自分より「できない」人間は増えていきます。
「自分が優秀である」という状況は「自分以外が自分よりは優秀でない」ということと同意なわけです。
この構造は表裏一体なわけで、相手の出来なさ加減に苛立つという「構造批判」は何も生まないということです。
②パレートの法則に当てはめる
「いかなる組織も2割の人が8割の成果を作る」という統計
①に加えて統計学的には全社員が優秀であることは不可能です。
私は性格が良いわけではないので、「みんな違って皆いい」なんて思えないですし、ベンチャーの必死さを目の当たりにしてビジネスの厳しさを痛感していますから、大企業社員の仕事ぶりには目を向けられないことも多くあります。
そんな不完全な私だからこそ、「苛立つ原因」を『理屈』で納得して建設的に考える努力をしなければなりません。
その有力なロジックが統計視点です。
例え、優秀な企業であっても、成果に貢献するのは2割の社員であるということを考えれば、8割の「そうではない社員」に対して苛立つことが建設的ではないと理解できます。
これは①と同じく構造的な問題であって、大切なコトは『構造』を憂うのではなく、その上でどう進めるか?という前向きな姿勢なのではないかと思うわけです。
③ヒト=経営資源という抽象化
同僚・関係者は感情をぶつけるモノではなく管理する対象である
これは視点の高さの話です。
自分を一従業員の目線で起こる事象を見てしまうと、主観や感情に流されてしまうことも多くなります。
しかし、これを経営という視点で見れば、自分を含めた従業員は管理されるべき対象、つまり『従業員=経営資源』である、ということです。
人件費というコストを払ってその投資に見合うリターンを得られているか?という考え方です。
売上や利益を上げるための一つの手段としてあるのが人的リソース(人件費)ですから、費用対効果を最大化するためには、人件費を削減するか、売上対比貢献度を高めるかの二択です。
今回の場合は、「優秀ではない人材」を切るのか、あるいは有効活用するかの二択です。
そして、日系企業ではリストラという選択肢は難しいですから、「いかに有効活用し、売上貢献度を高められるか」という方向性を取ることが有効となります。
このように経営視点で見ることで、自分から見て「できない社員」は「活用すべき人件費」という変換がなされるわけです。
管理すべき対象であれば、不足するリソースやスキルを補ったり、あるいは共存の仕方を工夫することに時間を割くことに注力できるのではないでしょうか。
我々は単なる従業員ではなく、会社を作る側の人間を目指しているわけですから、他のどの従業員よりも高い視点から同僚と向き合うことが求められているのではないでしょうか。
まとめ
- 苛立つこと自体は健全。その感情はありのまま受け入れる
- 自分の出世・活躍は「周りが自分よりも優れていない」という証拠
- パレートの法則で2割の社員が会社を作っていることが前提である
- 経営視点でその構造の中で活動することが大事
それでは、また!