個性の時代に備えて『個性の本質』って何なのか?について考えた話。
未だ自分の個性が掴めずに、私は悩み考え続けている。
その思考の過程を粗雑ながらそっくりそのまま言語化してみよう。
っていう話。
結論
『人と違う』を求めることが個性だと思いがち。
しかし、
それは単なる『他者依存』であって、偽りの個性かもしれない。
『人と違う』を基準にしてしまうと、他人にばかり意識が向いてしまう。
結果として、
自分自身と向き合えていない。
真の個性とは、もっと内発的で自由なモノじゃないかって思う。
偽りの個性
有名な話で『晴と雨』がある。
『晴と雨』
習字の授業で先生が「『晴』という字を書いてください」と生徒に指示をした。
すると、
ある生徒の一人が『雨』と書いた。
これは個性か否か?という論争。
個人的には、なぜ『雨』と書いたのか?という動機の部分が気になっている。
そこに答えのヒントが隠されているように思う。
『人と違うことをする』が目的になっている人は、他の99%の人が右を向いている中、たった一人だけ左を向こうとする。
その左を向くという行為の動機は『他者』にある。
皆が右を向いているから“左を向いた”という因果関係。
これって“左を向く”ことの目的が『人と違うことをする』というそれ自体にある。
これは個性じゃなくて他者依存じゃないか?って思う。
実は自分がそのタイプだった気がしている。
幼い頃から“人と違うことをする”ことで自分を何とか保ってきた。
そして今思うのは、
あの時の自分は『左を向きたかったから向いたのではなく、皆が右を向くから左を向いていただけに過ぎなかった』ということ。
真の個性
『左を向くこと』に何か自分らしさがあるかと言えばNO。
だとすれば、
やはり“人と違うことをする”こと自体は自分のアイデンティティではなさそう。
つまり、
真の個性というのは『左を向きたいから向いている状態』なんじゃないかと。
その時、周りも全員『左を向いている』かもしれない。
それは一見すると同質化して見える。
ただ、
そのように全員が自分同様に左を向いている状態であっても、『自分が左を向いている』ことそれ自体に意味があるならば、それは個性だろう。
そして、
真の個性は『環境に依存しない自発性のモノ』だからこそ、見つけ出すことが難しい。
自分自身と向き合い慣れていないと当然見えてこない。
一方で、
外の環境や他者の言動を見て『違う方を向く』は容易にできてしまう。
だからこそ、
そこから個性っぽいモノ(偽りの個性)を規定しようとしてしまい『人と違う』に執着してしまうのだろう。
偽りの個性にしがみつく負のスパイラルが始まっているように感じる。
真の個性との向き合い方
じゃあ、そんな(真の)個性をどうやって見つけようか。
って悩んでるのが、まさに今。
とはいえ、
こうやって粗雑ながら言語化してみると『真の個性が埋まってそうな場所』がボヤッと見えてきた。
「ここから北の方角ではなくて確実に南の方角だな」みたいな。
以上、
進撃の巨人⇨キングダム⇨約束のネバーランド⇨攻殻機動隊と立て続けにハマってきたけど、鬼滅の刃は2巻で挫折した。
って話でした。